100 STORIES<不幸中の幸い>不幸中の幸い>
■放浪のころハンブルク、早春
結局追い出されるようにロンドンを出てきた。ハンブルクのユースホステルではいつでも放浪者を雇ってくれる、らしい、という未確認情報を頼りに夜行列車に乗った。
ハンブルクに着いたのは翌日の昼前だった。
二年前の初夏、日本から船でマルセイユに着き、ぼくの放浪が始まった。南ドイツで中古自転車を買ってライン川に沿って走り、退屈なウェストファーレンの工業地帯からは、自転車ごと列車に乗ってハンブルクに着いた。
まだ時間が早かったので、駅のコンコースにリュックを放り出して町に出た。一時間ばかり歩いて戻ったらリュックは消えていた。ギョッとしてあたりを見回していたら「ハロー」と、荷物預かりの窓口でオヤジが手を振っていた。「あんなところに置いて いくと盗まれるぞ」、と言いながら、オヤジはリュックを返してくれた。料金は取らなかった。
とりあえずの仕事
そんなことを思い出しながら、夏のシーズン中だったあのときとは別の駅みたいに、がらんとしたハンブルク中央駅から地下鉄に乗った。電車はすぐ地上に出て、窓から港が見え始めると、ランドゥングスブリュッケンに停まる。この長い駅名も、ランドゥングは上陸、ブリュッケは橋、と、わかってしまえばそう難しくもない。要するに 「桟橋前」 だ。
ユースホステルはこの駅の裏手の丘の上にある。灰色の冬空の下に港の眺めが広がっている。風はない。風はないのに刻々と体が冷えてくる。これが北ドイツの冬だ。
目の前にノルウェーの旗を立てた大きな貨客船がどっしりと停泊している。その向こうには、やっぱり同じぐらい大きな船がドックヤードで船体にペンキを塗ってもらっている。神戸港の眺めが脳裏をよぎった。第四突堤からマルセイユに向けて船出したときのことも、ちらと思った。あれは、春の快晴の午後だった…
でもすぐにわれに返った。そんなことを思い返してる場合じゃない。リュックをゆすってぼくは丘を登り、ユースホステルの大きなガラスの扉を押した。仕事があるにしてもないにしても、ともかく今夜はここに泊まるしかない。とり� ��えず受付をすませ、割り当てられたベッドにリュックを置くと受付に戻った。
「仕事を探してるんですが…」、ロンドンでの職さがしは徒労に終わったが、そのおかげでこういう交渉には少し慣れた。ドイツ語は、一昨年ドイツをひと月かけて旅行したときに少し覚えた。貧乏旅行では最低限の現地語は必須だ。
それに、ロンドンにいた間に、エヴァ・クプリノヴィッツという一人の少女のおかげで、ぼくのドイツ語の知識は急速に増えた。彼女のことは、この稿の後半で詳しく語るつもりだ。
といっても、ドイツ語を会話という形で実際に試した経験はまだほとんどない。それはぼくにとって、仕事があるか、ということの次ぐらいに大きな不安だった。
ただ、この「仕事」というドイツ語だけはたいていの人が知� ��ている。そう、「アルバイト Arbeit」。それに「haben Sie (do you have)」をつければ通じるはずだ。
「仕事?」、受付のオヤジはうさんくさそうにぼくを上目でにらみながら言った。「ない」、やっぱりな、よりもよって一番ヒマな時期だもんな…
「ないが、…今ベッドの入れ替え作業をしている。とりあえず今日、明日はそれを手伝ってくれ」、なんだ、あるじゃん。そしてさっき払った宿泊料をぬっと返してくれた。ほっとしていた。久しぶりに気分が凪いだ。
言われたとおり二階に行くと、若いドイツ人の指図で、アラブ系の青年が三人、いかにも気乗りしない様子でパイプ製のベッドを運び出していた。ウルリッヒというそのドイツ人はぼくに仕事の要領を簡潔に指示し、そして耳元でささやいた。「あいつらは当てにできない。俺と二人でやろう」、彼のドイツ語はわかった� ��大丈夫、言葉は何とかなりそうだ…
そのうちウルリッヒが事務所に呼ばれていなくなると、アラブ組は訛りの強い英語で愛想よくぼくに近づき、俺たちと一緒にやろうと言った。気のいい連中だと思ったが、そのうち彼らの際限ないおしゃべりにうんざりしてきた。
一言話しかけては手を止めてぼくの返事を待つ。当然、仕事はほとんど進まない。ベッドを廊下まで運び出して、そこでまた立ち話を始めた三人をちょっと促すと、口をそろえて言った。「適当にやろうよ。そんなに働いたってくれるものは同じだよ」
それから三日間、ぼくはそのユースホステルで古いベッドを運び出すのを手伝った。三日目の夕方、ぼくは事務所に呼ばれた。
「うちでは今のところ人はいらない。春以降の人員も確保してある。だが� ��最近この町にはもう一軒ユースホステルが建った。知ってるか?」、知らなかった。「ここより大きくて立派だ。四月からのオープンに向けて準備している。そこへ話をつけておいた」
オヤジさん、ポートマンさんといった、は相変わらずムッとした表情で言った。そういうことを言うときにはもっと違う顔があるだろうに…「わかりました、ダンケ・シェーン・ファーター」、ぼくも彼に合わせてぶっきらぼうにつぶやいたが、もちろんほんとは彼にとても感謝していた。
ホルスト・ベックとの出会い
そして四日目の朝、ぼくはポートマンさんの車でもう一軒のユースホステルに送られた。都心から二十分ぐらいの住宅街の端に、真新しい立派な建物が建っていた。裏が競馬場 Rennbahn になっていて、それで名前も「競馬場ユースホステル Jugendherberge Horner Rennbahn」 なのだと、ポートマンさんは言った。
その新しい建物の広々とした玄関ホールで、管理人夫妻に紹介された。「ライトナーさん夫妻だ」、「よろしく」、「この日本人はよく働くよ」、そして彼は初めて少し笑った。
その日の昼食時、ライトナーさんの奥さんが、ぼくをヘルパー全員に紹介してくれた。いかにも主婦という感じの中年の女性が何人かテーブルを囲んでいたが、彼女たちはみんなパートタイマーで、近所から通ってくるということだった。
「それからこっちがあなたの仕事の相棒、ホルスト・ベック。お部屋も隣だからね」、「ホルストだ、よろしく」、「よろしく」、「それから、台所にもう一人、コックのマイケがいるわ」
そのホルストが話しかけてきた。「一つ言っておく。トイレはお前と共用だ 」、「知ってる」。そのあたりはさっき夫人の案内でぼくの部屋に通されたとき説明を受けた。
「使ったときは報告しろ」、
「……」、
「臭いが残るんだ。あ、だから大きいほうだけな」、
「あ、了解」
トイレが彼の部屋とぼくの部屋の間にある。トイレといっても当然そこには洗面やバスタブもある。あの臭いの中で顔を洗ったり風呂に入ったりはしたくはない。
パートのおばさんたちがブーイングを鳴らした。「ホルスト、食事時なんだからやめなさいよ」、「そうよ、何も今そんなこと話さなくても」
台所からいい匂いが近づいてきて、コックのマイケが出来たてのシュニッツェルを運んでくるところだった。人数分のシュニッツェルの大皿を前にして、ホルストはにやにやしながらぼくを見た。ぼく もにやにやしながら彼を見た。それがぼくとホルスト・ベックとの出会いだった。こいつとはうまくやれそうだ。それに、言葉もここまでなんとか通じてるし…
そして、その日の午後からぼくの仕事は始まった。「宿泊者が来るのは四月からだ。ゆっくりやればいいさ」ホルストはそう言って、業務用の大きな掃除機の使い方をぼくに説明してから、オレは二階の受け持ちだから、じゃな、と階段を駆け上がっていった。ぼくは言われた通り玄関ホールから掃除機をかけはじめた。
労働許可
一週間目の朝、ちょっとした出来事があった。役所に行って労働許可の手続きをしてこいとライトナーさんが言った。日本人に労働許可なんか下りません、それよりこのまま黙ってもぐっていれば絶対ばれないから、と言うのに、 彼は頑として聞かず、しかも、申請書はもう役所に送ったと言う。
たいへんなことをしてくれた…。外国人の労働許可についてのその国ごとの事情、なんていうことは、むしろぼくたち放浪者のほうがよく知っている。
ぼくは覚悟して担当官の前に出た。
「ここで働いてるんだな」、役人はライトナーさんが提出した申請書を見ながらぶっきらぼうに言った。「はい」、声がかすれた。「許可は下りない」、「……」、覚悟するしかなかった。
ようやく仕事にありついたのに、結局ここもまた追い出されるのか…。役人は重い口調で続けた。
「労働許可なしに働くと罰せられる。あんたも、雇い主もだ。それぐらい知ってるな」、
「あ、はい」
そして彼は、苦りきった表情で申請書をじっと見つめていた� �、やがて何を思ったか、いきなりその申請書を細かく破ってゴミ箱に捨てた。ぼくは一瞬あっけにとられたが、彼の真意はすぐに読めた。
つまりこれは、証拠を抹消してくれたのだ。もぐり労働を黙認してくれたのだ。「ありがとう」、と言うのもヘンだな、と思ったところへ、彼の役人らしい切り口上が飛んできた。
「労働はまかりならん。固く禁じられておる。わかったな」、
「はい…」、
「帰ってよろしい」…
ニコール
ぼくのハンブルクでの生活はそんなふうに始まった。
朝食が終わると仕事にかかる。床の汚れを落としたり、ガラスを磨いたり、といった単調な作業が延々と続く。こちらでは建物が竣工したあと、工事の汚れなどをきれいに落としてから施主に引き渡す、という習慣がない� �しい。おおざっぱには片付いているが、細かいおが屑やペンキの飛沫などは、とくに部屋の隅のほうなんかにたくさん残っているし、ガラスなんかはひどく汚れたままになっている。それを四月のオープンまでにきれいにするのがぼくたちの主な仕事だ。
そして二月に入ってすぐ、ヘルパーが二人増えた。
ニコール…
パリジェンヌで、英語、ドイツ語も軽くこなす。ややケバケバ系のおしゃれをしていて、それがここのドイツ人たちには評判がよくない。アイシャドウも口紅も濃すぎる、あのへらへらしたドレスは何だ、労働には適さない、まともに働く気はあるのか、エトセトラ…まあ大きなお世話だが。
小柄で、べつに美人ではないが、でも、賢い人間の魅力、みたいなものがある。そう、彼女は賢い。
彼女が 仕事にかかると、いつも甲高い歌声が聞えてくる。彼女はいつも歌っている。それも、誰に遠慮もなく張り上げたきんきら声で。そしてひっきりなしに台所に来てコーヒーを飲む。
ここのドイツ人たちは、口をそろえてニコールを悪く言う。陰口、なんてものではない。食事時などに面と向かって罵倒をあびせる。
「歌ばっかりうたってりゃ仕事はそっちのけだよな、ニコール」、
「今日はコーヒーブレークを何回とったんだ、ニコール?」、
「仕事をしたのは正味何分だ、ニコール?」
それも一人じゃなく、みんなでいっせいに言い立てる。ライトナー夫妻も、ホルストも、パートのおばさんたちも、みんないっせいに、だ。ひどいもんだ。ニコールは達者なドイツ語で言い返すが数ではかなわない。結局は、「 やっぱりフランス人は怠け者だな、ニコール」、なんていう「結論」になったりする。
でも彼女が仕事中に歌をうたうことについては、いいじゃん、歌ぐらい、とぼくはいつも思う。ぼくも仕事しながらよく歌う。ただ、ぼくはまあふつうに遠慮して小声で歌うが、彼女のは、ちょっと鼻歌、なんて生易しいもんじゃない。そして歌にリキが入ると手の動きは間違いなくスローダウン、というのはまあ確かに問題といえるけど…
でもニコールは立派だと、そう思うこともある。あんなにみんなにひどいことを言われても、平然とまた歌声を響かせ、平然と台所にやってきてコーヒーを飲む。少しは見習ったほうがいいかもしれない、と思わないでもない。
ミスター・ジョン
もう一人はジョン…
こいつはロンド ナー。ひょろひょろと背は高いが、枯れ草のような髪の毛が小さな頭にしがみついてる。どう見てもさえない男。髪の毛は少ないが、年はぼくより少し若い、らしい。ここのドイツ人たちは早速「ミスター・ジョン」と、いくらかからかい気味に呼び始めた。
ジョンは英語しか出来ない。そしてここの人は誰も英語は話せない。だから、ジョンが話す相手はニコールかぼくしかいない。ところがニコールは彼の話しかけを拒否する。ジョンが英語で話しかけても、彼女は毅然としてドイツ語で返す。失礼な態度、には見えないが、ニコールが彼を嫌っている、ないしは軽蔑しているのはわかる。
ニコールは、ぼくがドイツ語で困難にぶつかっていると、「ニコール、ゲフローレンって何?」、「ゲフローレン…、フローズン」、� �ああ、フローズン。ありがと」、というふうに英語でそっと助け舟を出してくれることがある。ジョンがドイツ語を話してみようともしない姿勢を、彼女は嫌っているのかもしれない。
玄関ホールに業務用のでっかい掃除機を当てているとジョンがやって来た。「ハロー、How are you?」、「How are you じゃないだろ、お前は二階の寝室の掃除じゃないのか?」、「今ちょっとティーブレーク」、何を言われても自分のペースを崩さないのはこいつも同じだ。
まだ話しかけようとするジョンを無視してぼくは掃除機のスイッチをオンにする。「See you later!」、掃除機の音にかぶせるようにロンドン訛りの英語が飛んできて、ジョンはふらふらとコーヒーの匂いのほうに消えた。
ニコールに対する罵倒もひどいが、ジョンに対するここのドイツ人たちの失礼な物言いも、横で見ているぼくのほうが少しムッとすることがある。
ある日の食事時、ドイツ語の会話が行き交うテーブルで、ジョンがいつものようにぼくに話しかけてきた。ほかの人の会話の少し邪魔かな、とぼくが思ったのと同時だった。ライトナー夫人の怒鳴り声が飛んだ。
「おだまり、このうすらバカ!」
もちろんそれはドイツ語だったから彼にはわからなかったけれども、語気は十分伝わったと思われ、彼はさすがにもう会話はあきらめて、黙々と肉にナイフを突き立てていた。
ジョンはそ� �なとき、ニコールのように言い返すことも出来ないから、ただ黙って自分の皿に向かうしかない。いや、多分彼ならもしドイツ語が出来たとしても、言い返したりはしない、という気がするけれども。彼にはいかにもそんな、イギリス人らしい穏やかさがある。
通りがかりに台所をのぞいたら、ニコールとジョンが悠然と、しかし互いにそっぽを向いたままコーヒーを飲んでいるそばで、コックのマイケが、二人をさも軽蔑しきったというように忙しく立ち働いているのが見えた。どうにも相性のよくない英・独・仏、みたいに見えて、ちょっと笑えた。
ちなみにコックのマイケは、いつもよそよそしくて取り付きにくいが、美しく、細身ですらりと背が高い。その長身美女がきりりと目を吊り上げて、一人でてきぱきとキッチ� ��を切り回す様子はなんともかっこいい。
そしてぼく
ぼくはなぜかいつもドイツ人にウケがいい。去年、リューデスハイムのユースホステルで働いたときもそうだった。あのときはスペイン人の若い男の子が、やっぱりテレテレ働いていて、そのうちえこひいきが始まり、ぼくは優遇され、彼は出て行った。すまないという気はした。でも、どうしようもなかった。
ぼくは自分が勤勉な人間だなんて思ったことはない。努力して気に入られようとしているつもりもない。ゴマを擦れるほど、ぼくは世慣れた人間ではない。でもなぜかいつもドイツ人の評価は高かったりする。
ただ、そうかといって、自分の有利な立場を捨ててでもドイツ人に一言モノを言うほど、ぼくは立派ではないし、勇敢でもない。