2012年4月6日金曜日

Hamburg


100 STORIES<不幸中の幸い>


放浪のころ
ハンブルク、早春



結局追い出されるようにロンドンを出てきた。ハンブルクのユースホステルではいつでも放浪者を雇ってくれる、らしい、という未確認情報を頼りに夜行列車に乗った。

ハンブルクに着いたのは翌日の昼前だった。

二年前の初夏、日本から船でマルセイユに着き、ぼくの放浪が始まった。南ドイツで中古自転車を買ってライン川に沿って走り、退屈なウェストファーレンの工業地帯からは、自転車ごと列車に乗ってハンブルクに着いた。

まだ時間が早かったので、駅のコンコースにリュックを放り出して町に出た。一時間ばかり歩いて戻ったらリュックは消えていた。ギョッとしてあたりを見回していたら「ハロー」と、荷物預かりの窓口でオヤジが手を振っていた。「あんなところに置いて いくと盗まれるぞ」、と言いながら、オヤジはリュックを返してくれた。料金は取らなかった。

とりあえずの仕事

そんなことを思い出しながら、夏のシーズン中だったあのときとは別の駅みたいに、がらんとしたハンブルク中央駅から地下鉄に乗った。電車はすぐ地上に出て、窓から港が見え始めると、ランドゥングスブリュッケンに停まる。この長い駅名も、ランドゥングは上陸、ブリュッケは橋、と、わかってしまえばそう難しくもない。要するに 「桟橋前」 だ。

ユースホステルはこの駅の裏手の丘の上にある。灰色の冬空の下に港の眺めが広がっている。風はない。風はないのに刻々と体が冷えてくる。これが北ドイツの冬だ。

目の前にノルウェーの旗を立てた大きな貨客船がどっしりと停泊している。その向こうには、やっぱり同じぐらい大きな船がドックヤードで船体にペンキを塗ってもらっている。神戸港の眺めが脳裏をよぎった。第四突堤からマルセイユに向けて船出したときのことも、ちらと思った。あれは、春の快晴の午後だった…

でもすぐにわれに返った。そんなことを思い返してる場合じゃない。リュックをゆすってぼくは丘を登り、ユースホステルの大きなガラスの扉を押した。仕事があるにしてもないにしても、ともかく今夜はここに泊まるしかない。とり� ��えず受付をすませ、割り当てられたベッドにリュックを置くと受付に戻った。

「仕事を探してるんですが…」、ロンドンでの職さがしは徒労に終わったが、そのおかげでこういう交渉には少し慣れた。ドイツ語は、一昨年ドイツをひと月かけて旅行したときに少し覚えた。貧乏旅行では最低限の現地語は必須だ。

それに、ロンドンにいた間に、エヴァ・クプリノヴィッツという一人の少女のおかげで、ぼくのドイツ語の知識は急速に増えた。彼女のことは、この稿の後半で詳しく語るつもりだ。

といっても、ドイツ語を会話という形で実際に試した経験はまだほとんどない。それはぼくにとって、仕事があるか、ということの次ぐらいに大きな不安だった。

ただ、この「仕事」というドイツ語だけはたいていの人が知� ��ている。そう、「アルバイト Arbeit」。それに「haben Sie (do you have)」をつければ通じるはずだ。

「仕事?」、受付のオヤジはうさんくさそうにぼくを上目でにらみながら言った。「ない」、やっぱりな、よりもよって一番ヒマな時期だもんな…

「ないが、…今ベッドの入れ替え作業をしている。とりあえず今日、明日はそれを手伝ってくれ」、なんだ、あるじゃん。そしてさっき払った宿泊料をぬっと返してくれた。ほっとしていた。久しぶりに気分が凪いだ。

言われたとおり二階に行くと、若いドイツ人の指図で、アラブ系の青年が三人、いかにも気乗りしない様子でパイプ製のベッドを運び出していた。ウルリッヒというそのドイツ人はぼくに仕事の要領を簡潔に指示し、そして耳元でささやいた。「あいつらは当てにできない。俺と二人でやろう」、彼のドイツ語はわかった� ��大丈夫、言葉は何とかなりそうだ…

そのうちウルリッヒが事務所に呼ばれていなくなると、アラブ組は訛りの強い英語で愛想よくぼくに近づき、俺たちと一緒にやろうと言った。気のいい連中だと思ったが、そのうち彼らの際限ないおしゃべりにうんざりしてきた。

一言話しかけては手を止めてぼくの返事を待つ。当然、仕事はほとんど進まない。ベッドを廊下まで運び出して、そこでまた立ち話を始めた三人をちょっと促すと、口をそろえて言った。「適当にやろうよ。そんなに働いたってくれるものは同じだよ」

それから三日間、ぼくはそのユースホステルで古いベッドを運び出すのを手伝った。三日目の夕方、ぼくは事務所に呼ばれた。

「うちでは今のところ人はいらない。春以降の人員も確保してある。だが� ��最近この町にはもう一軒ユースホステルが建った。知ってるか?」、知らなかった。「ここより大きくて立派だ。四月からのオープンに向けて準備している。そこへ話をつけておいた」

オヤジさん、ポートマンさんといった、は相変わらずムッとした表情で言った。そういうことを言うときにはもっと違う顔があるだろうに…「わかりました、ダンケ・シェーン・ファーター」、ぼくも彼に合わせてぶっきらぼうにつぶやいたが、もちろんほんとは彼にとても感謝していた。

ホルスト・ベックとの出会い

そして四日目の朝、ぼくはポートマンさんの車でもう一軒のユースホステルに送られた。都心から二十分ぐらいの住宅街の端に、真新しい立派な建物が建っていた。裏が競馬場 Rennbahn になっていて、それで名前も「競馬場ユースホステル Jugendherberge Horner Rennbahn」 なのだと、ポートマンさんは言った。

その新しい建物の広々とした玄関ホールで、管理人夫妻に紹介された。「ライトナーさん夫妻だ」、「よろしく」、「この日本人はよく働くよ」、そして彼は初めて少し笑った。

その日の昼食時、ライトナーさんの奥さんが、ぼくをヘルパー全員に紹介してくれた。いかにも主婦という感じの中年の女性が何人かテーブルを囲んでいたが、彼女たちはみんなパートタイマーで、近所から通ってくるということだった。

「それからこっちがあなたの仕事の相棒、ホルスト・ベック。お部屋も隣だからね」、「ホルストだ、よろしく」、「よろしく」、「それから、台所にもう一人、コックのマイケがいるわ」

そのホルストが話しかけてきた。「一つ言っておく。トイレはお前と共用だ 」、「知ってる」。そのあたりはさっき夫人の案内でぼくの部屋に通されたとき説明を受けた。

「使ったときは報告しろ」、
「……」、
「臭いが残るんだ。あ、だから大きいほうだけな」、
「あ、了解」

トイレが彼の部屋とぼくの部屋の間にある。トイレといっても当然そこには洗面やバスタブもある。あの臭いの中で顔を洗ったり風呂に入ったりはしたくはない。

パートのおばさんたちがブーイングを鳴らした。「ホルスト、食事時なんだからやめなさいよ」、「そうよ、何も今そんなこと話さなくても」

台所からいい匂いが近づいてきて、コックのマイケが出来たてのシュニッツェルを運んでくるところだった。人数分のシュニッツェルの大皿を前にして、ホルストはにやにやしながらぼくを見た。ぼく もにやにやしながら彼を見た。それがぼくとホルスト・ベックとの出会いだった。こいつとはうまくやれそうだ。それに、言葉もここまでなんとか通じてるし…

そして、その日の午後からぼくの仕事は始まった。「宿泊者が来るのは四月からだ。ゆっくりやればいいさ」ホルストはそう言って、業務用の大きな掃除機の使い方をぼくに説明してから、オレは二階の受け持ちだから、じゃな、と階段を駆け上がっていった。ぼくは言われた通り玄関ホールから掃除機をかけはじめた。

労働許可

一週間目の朝、ちょっとした出来事があった。役所に行って労働許可の手続きをしてこいとライトナーさんが言った。日本人に労働許可なんか下りません、それよりこのまま黙ってもぐっていれば絶対ばれないから、と言うのに、 彼は頑として聞かず、しかも、申請書はもう役所に送ったと言う。

たいへんなことをしてくれた…。外国人の労働許可についてのその国ごとの事情、なんていうことは、むしろぼくたち放浪者のほうがよく知っている。

ぼくは覚悟して担当官の前に出た。

「ここで働いてるんだな」、役人はライトナーさんが提出した申請書を見ながらぶっきらぼうに言った。「はい」、声がかすれた。「許可は下りない」、「……」、覚悟するしかなかった。

ようやく仕事にありついたのに、結局ここもまた追い出されるのか…。役人は重い口調で続けた。

「労働許可なしに働くと罰せられる。あんたも、雇い主もだ。それぐらい知ってるな」、
「あ、はい」

そして彼は、苦りきった表情で申請書をじっと見つめていた� �、やがて何を思ったか、いきなりその申請書を細かく破ってゴミ箱に捨てた。ぼくは一瞬あっけにとられたが、彼の真意はすぐに読めた。

つまりこれは、証拠を抹消してくれたのだ。もぐり労働を黙認してくれたのだ。「ありがとう」、と言うのもヘンだな、と思ったところへ、彼の役人らしい切り口上が飛んできた。

「労働はまかりならん。固く禁じられておる。わかったな」、
「はい…」、
「帰ってよろしい」…

ニコール

ぼくのハンブルクでの生活はそんなふうに始まった。

朝食が終わると仕事にかかる。床の汚れを落としたり、ガラスを磨いたり、といった単調な作業が延々と続く。こちらでは建物が竣工したあと、工事の汚れなどをきれいに落としてから施主に引き渡す、という習慣がない� �しい。おおざっぱには片付いているが、細かいおが屑やペンキの飛沫などは、とくに部屋の隅のほうなんかにたくさん残っているし、ガラスなんかはひどく汚れたままになっている。それを四月のオープンまでにきれいにするのがぼくたちの主な仕事だ。

そして二月に入ってすぐ、ヘルパーが二人増えた。

ニコール…
パリジェンヌで、英語、ドイツ語も軽くこなす。ややケバケバ系のおしゃれをしていて、それがここのドイツ人たちには評判がよくない。アイシャドウも口紅も濃すぎる、あのへらへらしたドレスは何だ、労働には適さない、まともに働く気はあるのか、エトセトラ…まあ大きなお世話だが。

小柄で、べつに美人ではないが、でも、賢い人間の魅力、みたいなものがある。そう、彼女は賢い。

彼女が 仕事にかかると、いつも甲高い歌声が聞えてくる。彼女はいつも歌っている。それも、誰に遠慮もなく張り上げたきんきら声で。そしてひっきりなしに台所に来てコーヒーを飲む。

ここのドイツ人たちは、口をそろえてニコールを悪く言う。陰口、なんてものではない。食事時などに面と向かって罵倒をあびせる。

「歌ばっかりうたってりゃ仕事はそっちのけだよな、ニコール」、
「今日はコーヒーブレークを何回とったんだ、ニコール?」、
「仕事をしたのは正味何分だ、ニコール?」 

それも一人じゃなく、みんなでいっせいに言い立てる。ライトナー夫妻も、ホルストも、パートのおばさんたちも、みんないっせいに、だ。ひどいもんだ。ニコールは達者なドイツ語で言い返すが数ではかなわない。結局は、「 やっぱりフランス人は怠け者だな、ニコール」、なんていう「結論」になったりする。

でも彼女が仕事中に歌をうたうことについては、いいじゃん、歌ぐらい、とぼくはいつも思う。ぼくも仕事しながらよく歌う。ただ、ぼくはまあふつうに遠慮して小声で歌うが、彼女のは、ちょっと鼻歌、なんて生易しいもんじゃない。そして歌にリキが入ると手の動きは間違いなくスローダウン、というのはまあ確かに問題といえるけど…

でもニコールは立派だと、そう思うこともある。あんなにみんなにひどいことを言われても、平然とまた歌声を響かせ、平然と台所にやってきてコーヒーを飲む。少しは見習ったほうがいいかもしれない、と思わないでもない。

ミスター・ジョン

もう一人はジョン…
こいつはロンド ナー。ひょろひょろと背は高いが、枯れ草のような髪の毛が小さな頭にしがみついてる。どう見てもさえない男。髪の毛は少ないが、年はぼくより少し若い、らしい。ここのドイツ人たちは早速「ミスター・ジョン」と、いくらかからかい気味に呼び始めた。

ジョンは英語しか出来ない。そしてここの人は誰も英語は話せない。だから、ジョンが話す相手はニコールかぼくしかいない。ところがニコールは彼の話しかけを拒否する。ジョンが英語で話しかけても、彼女は毅然としてドイツ語で返す。失礼な態度、には見えないが、ニコールが彼を嫌っている、ないしは軽蔑しているのはわかる。

ニコールは、ぼくがドイツ語で困難にぶつかっていると、「ニコール、ゲフローレンって何?」、「ゲフローレン…、フローズン」、� �ああ、フローズン。ありがと」、というふうに英語でそっと助け舟を出してくれることがある。ジョンがドイツ語を話してみようともしない姿勢を、彼女は嫌っているのかもしれない。

玄関ホールに業務用のでっかい掃除機を当てているとジョンがやって来た。「ハロー、How are you?」、「How are you じゃないだろ、お前は二階の寝室の掃除じゃないのか?」、「今ちょっとティーブレーク」、何を言われても自分のペースを崩さないのはこいつも同じだ。

まだ話しかけようとするジョンを無視してぼくは掃除機のスイッチをオンにする。「See you later!」、掃除機の音にかぶせるようにロンドン訛りの英語が飛んできて、ジョンはふらふらとコーヒーの匂いのほうに消えた。

ニコールに対する罵倒もひどいが、ジョンに対するここのドイツ人たちの失礼な物言いも、横で見ているぼくのほうが少しムッとすることがある。

ある日の食事時、ドイツ語の会話が行き交うテーブルで、ジョンがいつものようにぼくに話しかけてきた。ほかの人の会話の少し邪魔かな、とぼくが思ったのと同時だった。ライトナー夫人の怒鳴り声が飛んだ。

「おだまり、このうすらバカ!」

もちろんそれはドイツ語だったから彼にはわからなかったけれども、語気は十分伝わったと思われ、彼はさすがにもう会話はあきらめて、黙々と肉にナイフを突き立てていた。

ジョンはそ� �なとき、ニコールのように言い返すことも出来ないから、ただ黙って自分の皿に向かうしかない。いや、多分彼ならもしドイツ語が出来たとしても、言い返したりはしない、という気がするけれども。彼にはいかにもそんな、イギリス人らしい穏やかさがある。

通りがかりに台所をのぞいたら、ニコールとジョンが悠然と、しかし互いにそっぽを向いたままコーヒーを飲んでいるそばで、コックのマイケが、二人をさも軽蔑しきったというように忙しく立ち働いているのが見えた。どうにも相性のよくない英・独・仏、みたいに見えて、ちょっと笑えた。

ちなみにコックのマイケは、いつもよそよそしくて取り付きにくいが、美しく、細身ですらりと背が高い。その長身美女がきりりと目を吊り上げて、一人でてきぱきとキッチ� ��を切り回す様子はなんともかっこいい。

そしてぼく

ぼくはなぜかいつもドイツ人にウケがいい。去年、リューデスハイムのユースホステルで働いたときもそうだった。あのときはスペイン人の若い男の子が、やっぱりテレテレ働いていて、そのうちえこひいきが始まり、ぼくは優遇され、彼は出て行った。すまないという気はした。でも、どうしようもなかった。

ぼくは自分が勤勉な人間だなんて思ったことはない。努力して気に入られようとしているつもりもない。ゴマを擦れるほど、ぼくは世慣れた人間ではない。でもなぜかいつもドイツ人の評価は高かったりする。

ただ、そうかといって、自分の有利な立場を捨ててでもドイツ人に一言モノを言うほど、ぼくは立派ではないし、勇敢でもない。


人はリュクサンブール公園を作成しました

ホルストはずっとぼくのことを気にかけてくれている。ドイツ語もそれとなく教えてくれようとする。「お前のドイツ語の発音はいい。ニコールよりいい」、ほめることで元気付けようとする。

ぼく自身、ここに来てからはドイツ語の響きの美しさに気づいている。ああいうふうに歯切れよくドイツ語を話してみたい、と強く思っている。ただ、ニコールのドイツ語と比較されても困る。あんなに話せるようになるには、あと何ヶ月かかるだろう、いや、何年、かな…。

ライトナーさんはいつもせかせかと何かに追われるようにいらついている。そしてヘルパーたちにあれこれ小言を言う。立派な体格とは裏腹に、言動がいつも小心 翼翼としていて、みんなの評判が悪い。

奥さんのほうはいつも明るく、少年みたいにいたずらっぽくて、もう五十代だと思うが、どこか若々しく愛らしい。そしていつもぼくにもよくしてくれる。

そしてそんなライトナー夫妻は、それでいて二人結構仲がよい。

ハンブルク競馬場ユースホステルの人間関係はまあそんなふうにからみ合いながら、毎日がまずは順調に過ぎていった。

順調に、そう、滞在予定の春まで、順調に過ぎていく、はずだった。あのことがなかったら…

ハンブルク早春余話

エヴァ・クプリノヴィッツのこと

そのことはぼくの三年余りにわたったヨーロッパ放浪を大きく左右したのだけれど、そのことをどう書くべきか、ことに不特定多数の読者に向かって、何をどう書けばいいのか、実はもう何十年も悩み続けたあげく、まだ誰にもきちんと話してはいない。

帰国してすぐ筆を取ったぼくは、そのこともまた放浪の中の一つのエピソードとして書くには書いた。でもそのぼくの最初の著書の一部でしかないエヴァの物語は、なんとかそのことにも触れた、という、ほんの申しわけ程度のものに過ぎなかった。

それはその頃まだプロのライターではなかったぼくの未熟さと、そしてぼくの照れであったと思う。ものを書くの� ��照れは禁物、ということを学んだのは、ぼくが物書きになって何年かしてからのことだった。

それを書こうとするとき、いつもぼくを悩ませたのは、ぼくたちがほとんど文通だけでつながっていたという事実だった。そのことは、一つのドキュメントとして決定的な弱さを見せる。そしてその、物語としての弱さを埋め合わせるために、どうしてもある程度の創作を要求されてしまう。

それは、物書きではあっても、小説家を志向したことがなく、小説を書いた経験もないぼくにとって、かなりの重荷であり、不本意でもあった。

でも、今、こうしてハンブルグでのあれこれを書き進めてくると、ここでもうこれ以上、あのことを伏せたままでは何も前に進まないことを、ぼくは改めて思い、そして、ともかく、ありのま� �に書いてみるしかないのだという覚悟をしたところだ。

とくに、その話はここハンブルクで一つの大きな転換期を迎えたのだから。

出会いのころ

リューデスハイム・ユースホステル

このポーランド系の姓を持つ十六歳の少女エヴァ・クプリノヴィッツとは、ライン河畔のリューデスハイム・ユースホステルで知り合った。

出会いは、残念ながら劇的でもなんでもない。簡単に言うと、ぼくはそのときそこでヘルパーをしていて、彼女はそこの宿泊者だった、というだけのことである。まあよくあるパターン。

そして、あそこではみんなよくするように、彼女を誘ってラインの川岸に下り、小一時間、お互い未熟な英語にドイツ語の単語をまじえた片言の会話を交わしただけだ。

ぼくの放浪が二年目に入った年の夏、ぼくがここハンブルクにやってくる半年前のことだった。

ユースホステルで働いていると、宿泊者の女の子と住所を交換し、彼女が帰っていくと文通が始まる、� �いうことは珍しくない。でも、手紙が何回か往復すると、たいていはどちらからともなく便りが途絶える。なんといっても言葉の問題があるし、たいていはお互い最初からそれほどの気持ちがあるわけではない。

彼女の手紙はドイツ語にかなりひどい英語を併記したもので、ぼくはそのころまだドイツ語はいくつかの単語を覚えた程度だったから、彼女の手紙は推測をまじえて読み、というよりほとんど暗号のように「解読」し、そしてなるべくやさしい英語で返事を書いた。

夏の終わりごろ、ぼくはロンドンに移った。何人かの文通相手とはそれを機に文通が途絶えたが、エヴァの手紙だけはロンドンまでぼくを追いかけてきた。そのことで、ぼくの気持ちは少しだけ彼女のほうに向き始めた。というよりも、向いてもいいの� ��な、と思い始めていた。

見事な金髪はぼくの中にも強い印象で残っているが、ぼくは改めて、より多くの彼女のイメージを記憶の中から引き出そうとした。

ドイツ人らしい意志的な視線が十六歳とは思えない大人っぽさを主張していたが、そのくせその青緑色の目は、少しだけ陰を宿していて、それが彼女を、ほかの子たちとは少し違った印象の中に置いていた…ように思えた。

季節は移り、夏から秋へ、いろいろと経緯はあった。それについてはここでは置いといて、話は12月に飛ぶ…

ロンドンの町がクリスマスムードに華やぐころ、エヴァから招待状が届いた。「もしクリスマスに何も予定がないのだったら、うちに来てクリスクスを過ごしてください。両親もあなたを歓迎します」、驚いた。少し唐突な気もし� �。でも、うれしくもあった。

そして、北ドイツの田舎の彼女の家で、一家を挙げての思いがけない歓迎に会い、彼女と数日を共にする中で、ぼくはようやく彼女に熱い思いを抱くようになったのだった。彼女の両親のお許しを得たような感触が、ぼくをさらにその気にさせた。

そのときの様子は、ドイツの一家庭のクリスマス、といったようなテーマで、また別稿にまとめようと思っている。そのときの数日は、ぼくの気持ちの中には大きな進展があったのだけれど、それこそ小説のような劇的な出来事なんて何もなかったのだから。

ブレーメンの南、オスナブリュックとのちょうど中間あたりに、ディープホルツという小さな町がある。そこからまたバスで二十分ほど走ったところにある小さな集落に彼女の家はある。人 口は五百人、ほとんどが野菜や麦を作る農家だ。

彼女の父はポーランド系リトアニア人で、一家が住んでいた地域は、終戦後ポーランド領になったため、一家は大変な苦労の末、ここ西ドイツ領にほとんど着の身着のままで移ってきた。というより強制的に送られてきたらしい。

…私たちだけではありません。その頃、終戦直後の西ドイツには、そんな人はたくさんいました…と、エヴァの手紙にあった。だから農業を営む土地もなく、父親が大工の技術を生かして細々と暮らしているのだという。

その小さな集落では、バス停の前に一軒あるだけの店が、食品店、雑貨屋、文具店、居酒屋をすべて兼ねている。…ほかは畑。麦畑にジャガイモ畑、それに野菜畑。それで全部です…という情報もまた、彼女のたどたどしい手� ��の中で語られた話題だった。学校は、もちろんみんなバスでディープホルツまで通うのだ、とも。

そのディープホルツという町までは、ハンブルクから列車で一時間余り。ロンドンからでは遠すぎるが、ここからなら日帰りも可能な距離にある。

それがハンブルクに移った本当の理由、と思われそうだし、事実そんなことを考えなかったわけでもないが、ハンブルクのユースホステル以外に仕事のあてがなかったのも事実だった。彼女に会いたいからといってふらふら移動できるほど放浪は甘くない。

訪問

ハンブルクに落ち着いて一週間の後、ぼくは休みを利用して彼女を訪ねた。

その日は平日で、彼女はまだ学校から帰っていなかったが、母親はもうすぐみんな帰ってくるからと、上機嫌でぼくを迎え入� �てくれた。

間もなく、彼女の弟、14歳になるというペーターが馬のような足音とともに帰宅し、靴についた雪を払いもせずに、「ムッティ(母さん)、腹へった!」、と叫んでストーブの前のソファーにどんと身を投げ出した。

…ペーターはいつも馬のような足音を立てて入ってきます。そして必ずハラヘッタ、と叫びます…、というのもエヴァの手紙にあった。

そして、エヴァが、ペーターとは対照的に玄関のドアを静かに開いて帰ってきた。玄関に出ると、「来てたのね」、と静かに言い、手袋をそっと脱ぐととてもさっぱりとした印象でぼくの手を握った。その瞬間、頬がかすかに赤みを増したことが、ぼくの来訪を喜んでくれている証だとぼくは感じた。

近所の建設現場で大工の仕事をしている父親も追いかける� ��うに続いた。

にぎやかに昼食が始まり、ぼくはその、絵に描いたような家庭の賑わいの中で、ある種のぬくもりが、放浪の苦心にいくらか疲れ始めた体の芯を溶かし始めるのを感じていた。

昼食が済み、コーヒーが終わると、父親はまた仕事に出かけ、ペーターはサッカーボールを抱えて、また馬の足音とともに雪原に駆け出していった。

しんとした居間に粗末な石炭ストーブが燃え、エヴァとムッテイとぼくは、ムッティがいれ直してくれたコーヒーを囲んだ。「ハンブルクの生活にはもう慣れましたか」

クリスマスのときもそうだったが、いつもこんなふうに話の口火を切るのはおしゃべりのムッティ。エヴァはそれを横から微笑みを浮かべて眺めている。微笑みの中に少しだけ、ムッティよくしゃべるなあ、と� ��う苦笑をこめて。エヴァはというと、十の会話のうち一ぐらいしか話さない。

それはまあいいとしても、困るのはムッティの早口だ。あのユースホステルでは、ライトナー夫妻もホルストも、ほかのワーカーたちもドイツ語しか理解しないし、唯一英語の出来るニコールもドイツ語しか話そうとしないから、ドイツ語を覚える環境は整っているといえる。といってもぼくのドイツ語なんてまだほとんど実用にならない。

「ムッティ、また早口になってる」、エヴァがときどきたしなめてもどうしてもまた早くなる。注意されると、ムッティは、気のよさそうな笑みを娘に向けて、うんうんとうなずき、そしてまた早口で話し続ける。

でもときどきエヴァが英語の単語を持ち出して助けてくれたり、ときには手まねを交えた� �して、話はなんとか続いていく。

冬の日が少し西に傾いて、寒々とした夕暮れの気配が漂い始める三時ごろには、またムッティの掛け声で立ち上がり、散歩に出かける。

なぜかムッティはいつもついて来る。コーヒータイムも三人なら、散歩もいつも三人。エヴァと二人きりになることまずない。クリスマスのときもそうだった。だからといって、「ムッティ、なぜついて来るの?」とも聞けない。

ムッティとエヴァのちょっとふつうとは違うように思える親密さ、ということは、ときどきぼくに小さな疑問符を投げかけてはいた。けれどもそのころのぼくは、そんなことを深く突き詰めてみるほどの冷ややかさは当然なく、どちらかというと、ほほえましい母娘の風景、といった理解にとどめようとしていたのだった。

散歩、といっても、冬枯れの畑の道を、雪を踏みしめて歩き回るだけだ。厚いヤッケを通して、厳しい北ドイツの寒さが染み込んでくる。足の動きは自然と早まり、散歩、というより早足の「行進」になる。

でも、歩き出すと、エヴァはいつもぼくのポケットに手を入れてきて、唯一、ポケットの中がぼくたちの二人きりの場所になる。

雪上の行進を終えて戻ると、またムッティがコーヒーをいれてくれる。そしてエヴァが最寄のバス停まで送ってくれて、ぼくは帰路につく。

ロンドンでの記憶

そんなふうに、ぼくはあれから何回かエヴァの家を訪ね、いつものように一家と昼食をともにし、ムッティの早口に難儀しながら三人で話し込み、それから夕日の雪原を三人で行進した。

この前行ったときも同じ だった。とくに思い当たることはなかった。いつもと違ったことなんて、何もなかった……

四月下旬のオープンに向けて、毎日ぼくたちは単調な仕事をこなしていた。仕事はほとんど、建築工事で残ったペンキの汚れやガラスの曇りを取り除くといった作業ばかりだった。

三月に入った。ぼくはまだ、毎日エヴァの手紙を待っていた。文通は、ここに来てからはドイツ語一本にした。ロンドンの書店で買ってきた初心者向きのドイツ語教材と独英辞典を助けに、なんとか解読し、なんとか返事を書くようになっていた。大学のときにやったドイツ語なんて、お情けで単位だけもらったようなもの。デル、デス、デム、デン、定冠詞の変化…、おぼろげな知識がほとんど意味もなく残っているだけだ。

そしてそんなたどたどし� ��文通が、それでも三、四日に一度のペースで交わされるようになっていた。それはもう、ぼくのハンブルクでの生活の中に、一つのリズムを刻んでさえいた。そんなリズムがふと途切れたとき、自分の中にあったエヴァへの思いの、意外な深さにぼくは当惑していた。

手紙が来なくなってから、今日で二週間になる。その間、ぼくが出した三通の手紙には返事がこない。

郵便屋はいつも朝九時ごろに来る。ポストホルンのマークをつけた黄色いフォルクスワーゲンを玄関のポーチに乗り入れ、郵便の束をわしづかみにして入ってくる。大きな自在扉にからだをぶつけるようにして広い玄関ロビーに入ると、ぶっきらぼうな調子で「グーテンモルゲン(おはよう)」を言う。

その時間、ぼくはたいてい玄関ホールの赤茶色のビニ ールタイルの床に掃除機をかけている。それがぼくの日課の一つだ。

「今日は日本からの郵便はない。残念でした」、四十前後と思われる、この痩せて背の高い、北ドイツの人らしくやっぱり愛想の悪い郵便屋は、いつもそんなふうにぼくに声をかける。彼にしてみれば、それが精一杯の社交辞令なのかもしれない。「ぼくが待っているのは日本からのじゃないんだ」、ぼくは日本語でそうつぶやいて掃除機のスイッチを切った。

当時日本クラブがあったチェルシー・エンバクメント

ロンドンでは日本クラブで働いていたから日本人に囲まれていたけれども、ここには日本人はいない。だからここに来てからは、ふつうなら心の中で思ってみるだけのことを、そんなふうに口に出す癖がついていた。どんなことを言ったところでわかる人はいないのだ。

「ぼくが待っているのは…」、ぼくはまた同じことをつぶやきながら、郵便屋が受付のカウンターに置いていった郵便の束をほぐしにかかった。

事務所の中で書き物をしていたライトナー夫人が出てきて、「日本からの手紙はあったかしら?」、と、郵便屋と同じ気遣いをぼくに投げかけた。「ぼくが待っているのは…」、ぼくはまた同じことをつぶやくところだったが、この人はそれをするとすぐ、「え、今なんて言った?」� �と食いついてくる。そしてその日本語の意味を説明しろとか、その言葉を教えろとか、いたずらっぽく食い下がってくる。

ぼくは夫人と一緒にその二十通ばかりある郵便を一通一通確かめながら、事務所宛てのと、ヘルパー個人宛てのに分けた。

今日もエヴァからのはなかった…。ぼくは重い気持ちを引きずりながら作業に戻った。掃除機の騒音の中で、ぼくの思考は溝にはまり込んだように空回りした。

そしてまた何日かがむなしく過ぎた。手紙が来なくなってからもうすぐひと月になる。ふつうならあれから二回ぐらいは家を訪ねているはずだけれども、ぼくはなんとなくためらっている。手紙が来るまでは、行ってはいけないのだと、なぜかそんなこだわりがぼくを金縛りにしている。


人気の中西部クリスマス·ファミリー情報

もうすぐ三月も半ば、暖かくてからりとさわやかな春の風が地中海から北上してアルプスを越え、このあたりまでやって来るには、まだあとひと月以上ある。それでも三月も半ばを過ぎれば、身を切るような厳寒の日は少なくなって、ときには春への期待をふと感じさせる日があったりするけれども。

室内は暖房が効いていてとても暖かいけれども、今日の寒さはひときわ厳しい。外には粉雪がちらついている。少し風が出て、大きな一枚ガラスに当たる粉雪の粒がさらさらと小さな音を立てる。ようやく芽生えようとする春への思いを無理やりに押し殺すように、季節は時折、こんなふうに情け容赦なく逆戻りする。

ぼんやりと窓の外� ��見ていると、広い自動車道路の向こう側の住宅街を白っぽい茶色の野ウサギが一匹、すばやく横切るのが見えた。

ぼくは自分が次第に苛立ち、落ち込んでいくのがよくわかった。ニコールの歌も、ジョンのロンドンなまりも、そしてライトナーさんの理不尽な小言も、みんな神経に触る。台所からビートルズが聞こえてきた。ニコールがいつもぶら下げている小型ラジオだ。

ビートルズはロンドンでよく聞いた。というより聞こえてきた。日本クラブの休憩室にあったテレビもひっきりなしにあの「雑音」を垂れ流していた。がさつで、騒々しくて、無神経な音、というふうにぼくには思えた。仕事探しに疲れて、ロンドンでのぼくは多少不機嫌になっていたのかもしれない。

それはともかく、あれを聞くとロンドンでの� �とを思い出す。エヴァとの、あのときの埋め合わせのついていない「二ヶ月の空白」がここに来てぼくを悩ませる。

ロンドンに着いてひと月余り、ぼくの気持ちが少しずつ彼女に向き始めたころ、実は、同じようなことがあった。

それまで週に一度のペースで届いていた彼女の手紙は、何の前ぶれもなく途絶え、ぼくは宙に浮いた気持ちの処理に悩んだ。

ただ、そのころの彼女に対するぼくの気持ちはまだそんなに熱くはなかったから、深く落ち込むこともなかったけれども、何の前兆も見せず、突然にふっと来なくなった手紙のことは、ぼくに何か不思議な、というより不審な印象を残した。そのうちぼくは待つのをやめ、いろいろと刺激の多い大都会の生活におぼれていったのだった。

そして、二ヶ月ぶりの、ま� �で何事もなかったような彼女からの手紙で、また文通は再開し、そしてクリスマスの招待となったわけだ。

それは結果から言えば希望につながる記憶ではあるけれども、だから今度もあのときみたいにそのうち手紙が来るだろう、などと楽観的に考える気分にはなれないでいる。

今ぼくは、あのときよりもはるかに深いぬかるみにはまり込んでいる。手紙が途絶えたからといって、あのときのようにあっさり自分の気持ちを遠ざけてしまうような、そんな冷ややかな気持ちには遠い、ということを、ぼくは知っている。

出来事

またむなしく何日かが過ぎ、三月も半ばを過ぎた。その日ぼくは、玄関の掃除を後回しにして、二階の寝室のベッドを整える作業を手伝うように言われていた。

正式のオープンは月 末になるが、その前にもうすぐやってくるイースター休暇前の数日、試験的にある団体を受け入れることになったのだと、ライトナーさんはいつものように少しいらつき気味に言った。

だからその日はいつものように郵便屋には会えなくて、ホルストと一緒に午前中いっぱいかかって二階のベッドの点検を終えた。

昼食の席に小包が来ていた。「ほら、彼女からのプレゼントよ」、ライトナー夫人にからかわれ、ほかのヘルパー仲間にも冷やかされたけれども、茶色の粗末な包み紙に麻ひもを丁寧にかけたその小包に見慣れたエヴァの字を認めたとき、ぼくは自分がこれまでにめぐらしたあらゆる憶測のうちの一番あってはならない結末が、この小包に入って届けられたのだという確信を持った。

「あら、どうしたの。開け� ��いの?」、夫人はいつものようにひょうきんに、口元を尖らせてそう言い、パートのおばさんたちも早く開けなさいよとせきたてたけれども、ぼくは反応を失って硬直していた。

期待とはあまりに違うぼくの反応に、みんな驚いた様子で黙り込んだ。隣の席からホルストが「大丈夫か?」とささやいた。

気まずい沈黙のうちに昼食が始まった。ごめんなさい、みんな…。ぼくは心の中でつぶやきながら、アスパラガスのポタージュを口に運んだ。泥を飲んでいるようにそれは味気なく、続いて出てきたレバーのソテーも紙切れのようにまるで味がなかった。

ひと口食べて、思わず投げやりな手つきでナイフ・フォークを置いた。すると、そこまでなんとか耐えてきたものが一気に噴き出してきて、「ごめんなさい」、と、� �くは小包を抱えて自室に戻った。だれももうぼくを引きとめはしなかった。

ぼくの着古したセーターが出てきた。この前エヴァの家に行ったとき、少しほころびができていて、繕っておくからと言うので置いてきたのだった。そして小さな赤いラジオ。これは弟のペーターが熱く関心を示して、しばらく貸してあげるからと、置いてきた。あれはペーターにプレゼントしたつもりだったのに…。(筆者注:当時、ソニーのトランジスタラジオは世界の市場を席巻していた。)

セーターの間から小さな封筒が落ちた。中身を読むまでもなく、結末はわかっている。理由はまったくわからないけれども、結末だけはもう変えようもないのだと思った。でもぼくは、なんとしても理由が知りたい、という一心で封筒を開いた。

今日の手紙はあなたにとってあまりよい便りではないでしょう。
でも私はそれを書かなければなりません。
私たちはもうこれっきりにすべきです。
私なりにいろ  いろ考えた結果です。
理由はどうか聞かないでください。
……

その次の二行は理解できなかった。いつもはぼくに気遣ってなるべく短く区切った文章で、とてもわかりやすく書いてくれているし、ぼくのドイツ語も急速に進歩したから、最近ではわからない箇所なんてほとんどな くなっていた。

でも、この二行はとてもぼくの今のドイツ語力では理解不能で、いつもの配慮を失ったらしい彼女に、小さな違和感を覚えながら、そこを飛ばして読み進んだ。それに多分、ここを何とか解読しても、手紙の大意は変えようもないのだとも思った。

この手紙に返事は無用です。
家に来るのもどうかやめてください。
お預かりしていたものはここにお返しします。
さようなら。
それでもあなたの幸せを祈って。
エヴァ

その日の午後をぼくは全身の脱力感と、もうろうとして不確かな意識のうちにやり過ごした。もちろん、いつものようにそれでも仕事はこなした。こなさなければならなかった。

そして夕方、皿洗い機の扉に左手をはさんで怪我をした。

夕食後の皿洗いはぼくの担当� ��。その大きな業務用の皿洗い機の鉄の扉が一メートル近くを落下してぼくの手の甲を打ったとき、ぼくは一瞬われに帰り、こういうアルバイトでなんとかしのいできた放浪生活が、この怪我で成り立たなくなるかもしれないことへの不安におののいた。

ゴム手袋をしていたせいか外傷はなかった。コックのマイケが駆け寄ってきて、要領のよい手つきで包帯を巻いてくれ、肩にかけた三角巾で固定して、「しばらく動かさないほうがいいわ」、と言った。「左手が使えないから、今夜のお肉はひと口に切っといたげるからね」、「ありがとう、マイケ」

マイケの心遣いがうれしかった。でも、鉄の板が降ってきた驚きが少し収まると、今夜はとても食事どころの気分ではないのを思い出した。「マイケ、ちょっとおなかをこわし てる。今夜は食べないから、みんなにもそう言っといてくれないか」、「そうなの、大丈夫?」、「一食抜けば大丈夫だと思う」

食欲もないが、どうした、何があった、と聞かれるのがわずらわしい。それに、今日のお昼みたいに、みんなにあんな思いをさせてはいけない、食卓に連ならないのがせめてもの礼儀なのだと思った。

左手は、もうさほどの痛みも感じなかった。それよりも、ぼくは今あらためて自分のエヴァへの思いの深さに戸惑っていた。そしてここにこうして届けられたこの結末をどうすべきか、少しずつ理性を取り戻そうともがく頭で、それでも考えようとしていた。

夜、ライトナー夫人が構内電話で様子をたずねてきた。

「怪我はどう、痛む?」、
「いえ、動かさなければほとんど痛みません� ��、
「そう、でも骨折しているといけないから、明日の朝お医者さんに行きなさい。それと、明日の仕事はお休み」、
「え、大丈夫です。仕事はできます」、
「いいの、ともかく明日は休みなさい。それと、お腹はどうなの? そっちは医者にかかる必要はない…、わね?」、
「はい、そっちは大丈夫です。…でも、フラウ・ライトナー、お昼のことはほんとにごめんなさい」、
「いいのよ、気にしてないわ、みんな。…じゃ、明日はお休み、ね。医者に行って、それからどこか気分転換に行ってらっしゃい」、
「わかりました、そうします」

なぜか涙が出た。感受性だけがむき出しになっている今の自分の心境が見えた。

翌朝、近くの医者にかかった。医者はすぐに左手のX線写真を撮ってくれ、骨折はな いことを確認してから、でも打撲がかなりひどいから治るのには少し時間がかかるだろうと言い、包帯を大げさに巻いてくれた。そして、治療費のことはライトナーさんから聞いているからきみは心配しなくていい、と言った。

バスに乗った。エルベ川の河川敷に設けられた小公園の入り口でバスを降り、堤防の冷たい空気の中を歩いた。少しだけ気分がよかった。

理由が知りたい。強くそう思った。そして、ロンドンでのあの空白の二ヶ月のことをまた思った。あれは何だったのか。そして今起こったこととそのこととは何か関連が…。疑問は不審となり、不審は不信となってぼくの中でさざなみを立てた。

それから、やっぱり一度行ってみるべきではないか、という当然の思いが消しても消しても沸いてきた。ただ、一� ��ではそれをしてはいけないのだという強い思いがあった。今押しかけたら、エヴァは壊れてしまうのではないか…、そんな根拠のない不安もやはり消すことができずにいた。

リューデスハイムで知り合った日の午後、今思っても不思議な出来事があった。あれは、彼女とライン川の岸辺で短い会話を交わしたときのことだ。
……

ラインの岸で

向こう岸の町ビンゲンとの間を往復するフェリーの桟橋で、ぼくたちは川面に四本の足を垂らして座り、ぼくの片言のドイツ語とエヴァのあやしい英語をつき混ぜた訥々とした会話を交わしていた。

ぼくたちの足と水面との間は二メートルばかり。そこはフェリーの発着のために底を掘り下げてあるらしく、水深が不自然に深くなっていて、暗緑色の水のずっと奥に黒� ��とした深みが沈んでいるのが見えた。

水にはいくらか恐怖心があってとうとう泳ぎを覚えられなかったぼくは、そんな深みに小さな不安を感じながら見ていた。

「深いわ、ここ」、エヴァも同じものを見、同じことを感じているのかな、と思った。「こわい」、彼女も水は苦手なのかもしれない、と、そのことにいくらか親しみを感じながら、ぼくは水面から目を離して首をねじり、彼女の横顔をのぞき込もうとした。肩まである柔らかな金髪が顔にかかって耳や口元を隠し、高すぎない、形のよい鼻の線だけが見えた。ぼくは上体を乗り出してさらに彼女の表情をのぞき込んだ。彼女の視線はじっと足元の水面を指し、目の大きさが、それに比例して長いまつ毛からだけ想像できた。

「こわいわ」、「え?」、「こわい� �、彼女は低く押し殺したような声で繰り返し、水を、じっと見ていた。無遠慮に覗き込んでいるぼくの存在は、彼女の視界にはまったくないように思えた。さっきまでの会話からは想像もつかない重い空気が彼女を包んでいた。これは水に対するちょっとした怖れなどという簡単なことではない、という気がした。

「じゃ、もう見るのはよせば」、彼女は答えず、まだ水を見ていた。そしてまた、もっと小さな声で 「こわい」 とつぶやいた。語尾がかすれていた。そして、英語はいつの間にかドイツ語になっていた。Ich habe Angst = 怖い、という表現を、ぼくはたまたま知っていたのだった。

おびえてる、とぼくは思い、意外な展開に当惑しながら言葉を探った。彼女はじっと水を見つめたまま、ドイツ語で何かしゃべっている。一言もわからなかった。ぼくがドイツ語をまだほとんど理解しないことさえも意識できなくなっている彼女の異変を、ぼくはひそかに恐れた。

話題を変えなければならない、彼女の視線をあの黒々とした水底の深みからそらさなければいけない、とぼくは焦り始めた。何かよくわからない恐怖が彼女を包んでいて、その中にぼくも巻き込まれようとしているような気がした。

風が凪いで、あたりの空気が淀んでいた。川向こうを列車が走りぬけた。格好の話題が通り抜けていくところだけれども、それを話題にするには状況は� ��すぎる。列車はいいスピードで川岸を突っ走り、シャーッという車輪の響きが川面に響いた。彼女は瞬きもせず、じっと水面に視線を落としたまま固まっていた。

ぼくはふと、少しバカらしくなってきた。いくらか開き直った気分で彼女の肩に軽く右手を置いて声をかけた。「ハロー」、ぼくの右手に思いがけない感触が伝わってきた。それは彼女の全身の硬直と細かな震えであった。ぼくは驚いて手を引っ込め、少し視線を下げて彼女の顔をのぞき込んだ。

周囲の空気が凍っていた。「エヴァ…」、ぼくはささやくように、そしてありったけの穏やかさを作って声をかけた。彼女の長いまつ毛がかすかに動いたような気がした。水面に向いた彼女の視線が動いて、ふらふらと宙をさまよい、それからまたゆっくりと時間をかけ てぼくのほうを見た。

目をそらすとまた彼女の恐怖が戻ってくるような気がして、ぼくもじっと彼女を見返した。青緑色の大きな目が少しずつ光を増し、そして少し笑った。彼女の全身を包んでいたわけのわからない恐怖がようやく去ろうとしているようだった。

静かに、また会話が戻ってきたけれども、ぼくはもう今起こったことには触れなかった。触れてはいけないような気がした。

そのことはぼくの中に小さな疑問符を残したままになったけれども、ともかくこの思いがけない事態が去ったことに安堵した。何事もなかったように、ぼくたちは自身の周辺のことを中心にまた片言の会話を続けた。

それがエヴァとの初めての会話だった。

エルベ川の岸で

ぼくは、あと少しで北海に出るエルベ川下流 の広々とした風景を前に、あのときのライン川の風物を思った。

この広い河原では、あのときのようにすぐ足元に流れを感じることはできなくて、黄色く冬枯れた河川敷の向こうには、黒々とした大河の流れが見えた。

そしてその黒々とした流れに、白い氷塊が点々と浮いて流れるのが見えた。三月ももう終わりだというのに、エルベの水はまだまだ厳しい冬の姿を見せている。

ヤッケの上から締め付けてくるような厳しい寒さを、ぼくはさほどのものとも感じずに、そこに立ち尽くして川を見ていた。

なぜこうなったのか…。ぼくの思いは解けるはずもない謎を巡って空転した。

考える手がかりは何もない。こうして思い悩んでも、何一つ解決できるわけではない。押しかけてしまえば一気に解決するじゃない� �…。いや、それをしてはいけない、それをしたらすべてが終わりになる…、浮かんでは消えるその思いをまた見つめた。

そして、そんなふうにぼくにブレーキをかけているのは、あのときラインの岸辺で見たエヴァの不可解な異変のシーンなのかもしれない…、そんな気がした。


オルガは、オーストラリアで発見されている場所

河川敷の公園から赤いヤッケの少年が子犬を連れて走り出てきて、ぼくのそばを駆け抜けた。「Guten Tag!」、少年はすれ違いざま小さく声をかけた。白っぽい金髪がフードからこぼれて、きらきらした小さな目がぼくを見上げ、そしてとてもやわらかな微笑みを投げて行った。「Guten Tag…」、冷え切った水の中に一滴の湯が落ちたようにぼくは感じた。湯は、すぐにまた冷たい水に溶けていった。

橋の上に出てみた。一台のトラックが巨大なコンクリートの橋を揺さぶるように通り抜けた。それが通り過ぎると、あとは遠く都心のほうから地鳴りのような大都会の音が聞こえるばかりだった。

エルベの水は点々と氷片を浮かべて流れ下り、青黒い水に混じった白い氷塊は、緩やかな流れに複雑な渦巻き模様を作りながらぬめぬめとうごめいている。そんな、心の中まで冷え込ませるような眺めを、ぼくは寒さに耐えてじっと見つめた。

川辺にはどれぐらいいただろうか。結局、来たときと同じぐらいむなしい気持ちで、ぼくはまたバス停に戻る道を引き返した。わずかにきざし始めた春が逆戻りして、また� ��しい冬が戻ってきたような早春の一日だった。

風が凍ったように止まり、厳しい冷気がひしびしと音を立ててぼくを締め付けた。日が傾いていた。手の傷が白い包帯の中で小さくうずいた。

ホルストとの会話

帰るとすぐ、隣室のホルストがドアをノックした。傷は痛むか、と聞いてから、夕食に出てこいよと言った。そのつもりだった。

みんなの前に出るのはしんどいし、食欲もあまりない。でもだからといつて、自分の身の上に起こった出来事にいつまでもとらわれている場合ではない、と思った。ドアのところで、大丈夫か、と彼はまた言い、元気を出せと言うようにぼくの右肩をドンと突いた。

ホルストに話してみよう、という考えはそのとき浮かんだ。

ホルストの部屋で二時間ばかり話し込ん� ��のはその翌日の午後だった。殻つきのピーナッツを食い散らかしながらぼくの話を聞き終わったホルストは、そういう問題は、オレなんかがあれこれ言うべきこととは思わないが、と突っぱねながら、ぼそりと言った。

「一つ、覚えといたほうがいい。ドイツ人の親というのは…」、そこで彼は少し口の端をゆがめて、「子供を、いかにも自立させてるように見えて、実はがっちりガードを固めて放さないようなところがある。それがしばしば子供の足を引っ張る」

お前の彼女の母親がそれだ、とは言わなかったけれども、ぼくが話した一家の様子から、彼は一つの判断を持ったのだと思った。

そしてホルストはそれ以上、多くは語らなかった。語らなかったけれども、ぼくは何か少しほっとしていた。これでよかったの� �、とぼくは思い、その話はそこまでにしてホルストに礼を言った。

「ホルスト、肉親は?」、「誰もいない。親父はベルギー戦線で戦死、お袋はベルリンの家で爆撃に遭ったってことまではわかってるが行方不明のまま。オレはハルツの知り合いに預けられてて助かった。兄貴も叔父も、いとこも、男はみんな戦争で死んだ。肉親と呼べるような者はほとんどいない」、ぎょっとして聞いていた。聞いてはいけなかったような気もした。

ぼくの父は二度も軍隊に召集されたが無事に戻って来た。母も、祖父母も、叔父たちも、みんなつらい目には遭ったが無事だった…。そんなことは、言えなかった。

ホルストは、言葉に詰まったぼくの肩を軽く小突くと、「なに、そのへんに転がってるような話よ」、と、少し投げやりに 笑みを作って言った。そして彼はギターを持ち出し、「歌おうぜ」、と言いざま、もう歌いだしていた。

緑の森よ

リューデスハイムのユースホステルに住み込んでいたとき、暮れ行くライン川の眺めを見下ろす広いテラスで、宿泊者たちがよく歌っていた。たいていはギターを抱えた人の周りに適当な輪を作って歌った。みんな古いドイツの歌、旅の歌、酒の歌、放浪の歌、そして愛の歌…。今、ホルストがギターに乗せて歌い始めたのも、やっぱり聞き覚えのあるそんな歌の一つだ。

その歌が終わるとホルストが聞いた。、「何かドイツの歌を知ってるか」。歌は、たくさん知っている。それがぼくの自慢だ。もちろんドイツの歌も、ぼくはいろいろ知っている。たとえば、そう、あれだ…

緑の森よ、われは歌� �ん
汝はこよなき、わが憩いと

フェリックス・メンデルスゾーンの「緑の森よ」には日本語の歌詞がある。

ホルストのギターに乗せて、日本語とドイツ語の二重唱が結構さまになった。「おう、いいぞ!」、そうやって、ぼくたちは夕方まで歌っていた。

復活

そんなふうにしていくらか自分を取り戻すきっかけをつかんだぼくは、その翌日から仕事に復帰した。傷は幸い左手なので、力仕事は無理でも掃除やガラス拭きなら平気だし、そうでなくてももうこれ以上は休めない。一週間もすると傷は順調に回復して、内出血で黒ずんだところももうほとんど痛まなくなった。

包帯が取れた日、ほぼ全治した傷をライトナー夫人に見せながら言った。「もう大丈夫ですから、ほら…。明日からまた皿洗い� �やります」、「そう、大丈夫なの、本当に?」、「はい、大丈夫です」、「よかった。実は、明日から忙しくなるの。正式のオープンはまだなんだけど、明日から一週間、二十人の団体を試験的に泊めることになってるでしょ。それが終わるとすぐ一般の宿泊者も受け入れるし、そしてすぐイースター休暇だしね。よかったわ、ほんとに」

「あの皿洗い機は誰が?」、
「マイケがやってくれてたの。でも彼女は調理で忙しいし、ニコールはあの通りの仕事振りでしょ…」、
「ミスター・ジョーンは?」、
「ジョーンには機械の操作が難しすぎるの。だからね、困ってたのよね実は。でも、ほんとにもう大丈夫?」、
「はい、もうご心配なく」、
「また怪我しないように気をつけてね」
「はい、あのときはちょっ� �」、
「ちょっと、へんだったのよね」、
「はい、ちょっと」、「何かあったのね」、「はい、実は…」、

と、ぼくは手短にエヴァとのことを話した。

「そうだったの」、
「あんなことで怪我なんかして、みんなにも不愉快な思いをさせて、ごめんなさい」、
「いいのよ、それより元気出しなさい。そのうちいいこともあるわ」、
「はい・・・」

いつも何かとふざけたい、いたずら好きの彼女に、また何か冷やかされると思ったが、彼女はまっすぐぼくの目を見つめて、大真面目な表情で励ましてくれた。

キオスク

そして次の日の午後、20人の宿泊者がバスで到着した。そのときから、掃除とガラス拭きに明け暮れる単調な日課に変化が起こった。

夕食時、ぼくは食堂のカウンターに立� �て宿泊者一人一人に料理を渡しながら、無理にも笑顔を作り、自分のもやもやを吹っ切るように、努めて愛想よく声をかけた。「Guten Appetit! お替りもOKよ!」

建物の陰にこびりついたように残っていたわずかな雪もようやく消えて、吹き始めた新しい季節の風が、お前ももうそろそろ覚悟を決めて陽気に振舞えと、ぼくにささやいているような気がした。

次の朝、そんなぼくの気持ちがまた少しふさいでいるのをぼくはどうすることも出来ないでいた。回復したといっても、まだ自分がいくらか無理をしているのだと思った。そしてその分だけふと落ち込むこともあるのだろうかと。

朝食の片付けが終わると、そんなぼくの様子を見て取ったように、ライトナー夫人が黙ってぼくの手を引き、受付の隣にある小さな売店に連れて行った。

「ここ、やってみなさい」、
「え、キオスクの店番ですか。できるかなあ、ぼくのドイツ語ま� �そんなに…」、
「できるわよ。ドイツ語はそれで十分。それにここはユースホステルよ。これからいろんな国の人が来るわ。英語がわかる人のほうがいいの。ここでドイツ語も英語もわかるのはあなただけよ」、
「ドイツ語も英語もいいかげんだけど」、
「またそんな…。自信を持って話せばいいわ」、
「…うん、わかりました。やってみます」

そして、少しおどけて言った。

「英語、ドイツ語、それに日本語だってOK!」、
「ふふ、もう大丈夫みたいね。その調子でお願いね」

「あ、でも、ここは本来ホルストの持ち場でしょう?」、
「いいの。これはね、実はホルストのアイデアなの。あなたにやらせてみたらって」、

みんな、考えてくれてるんだ…。ふと、暖かいものがこみ上げた。

その日から、ぼくは毎日何時間かキオスクに立って、町のガイドブックや地図、バッジやペナント、それにチョコレートやクッキー、コーラにジュースといったものを買いに来る宿泊者の相手をするのが日課になった。

そして、そのときはまだその団体客だけだったが、団体客が帰っていくと、いよいよ正式のオープンとなり、毎日宿泊者たちでにぎわい始めた。

そして、その次の週には復活祭の休暇がやってき� ��。一週間のイースター休暇は、突然襲ってきた嵐のような忙しさの中で過ぎた。

イースターが終わって、玄関の前のコブシの花がクリーム色の花をたくさんつけるころになると、ほとんど毎日、二、三十人の宿泊者が来るようになった。

日差しは、日に日に温かさを増して、春の心地よい気候がようやくこの北の町にも根付き始めていた。

毎日、宿泊者たちの朝食の世話をし、食器を洗って掃除をして、そしてまた夕食の世話、という日課がリズムよく繰り返されるようになった。そしてぼくには、キオスクの店番という仕事もあった。

確かにキオスクの仕事は気がまぎれる。宿泊者たちは若く陽気だし、女の子が、半分は日本人珍しさに冷やかして行ったりする。あとの半分は…、ぼくも少しはもててるのかな、な� ��て思ってみるのも悪くない。(筆者注:当時、まだ日本人の宿泊者はごく少なかった。)

トラブル

そんなふうに、ぼくはホルストや、ライトナー夫人の支えで何とか少しずつ自分を取り戻し、毎日の忙しさにも助けられて、ようやくあの出来事の痛手から立ち直っていった。

だからぼくは、あの日ライトナーさんとの間に起こったトラブルを、もうあのことのせいにするつもりはない。

四月最初の週末だった。その日はちょっとした小団体も含め、宿泊者が五十人前後いて、無茶に忙しかった。夕食後の皿洗いは、大きな業務用の皿洗い機でも何回かに分けて洗わなければならなくて、いつもよりずっと時間がかかった。

皿を洗い終えて部屋に戻るともう八時。いつもより小一時間も遅かった。ぼくは自室に戻り、ベッドに寝転がって一息ついた。それはいわば、一日の疲れをど� ��と感じる瞬間だったかもしれない。

内線電話が鳴った。

「あ、ちょっとキッチンまで来なさい」、ライトナーさんだ。
「何か?」
「いいからすぐ来るんだ」
「だからどうして?」

何だよ、疲れてんだよ…、思わずちょっと突っかかった。向こうも尖った声になった。ボリュームも、ピッチも上がった。

「あの皿洗い機の後始末は何だ。ジャガイモのかすがくっついてるぞ。もう一度やり直すんだ」
「……」

いつものやつだ。床を掃除したら髪の毛が落ちていたと言ってその髪の毛をわざわざ持ってきて突きつける。テーブルを拭いたら、椅子の脚が汚れてると言い、脚を拭いたら脚の裏も拭いたか、と言う。そんなふだんのうらみつらみがこみ上げた。

「わかったな。すぐだぞ!」その高圧的 なもの言いにもカチンと来た。

「お断りします」
「なにィ、なんでだ」
「そんなにひどい仕事をした覚えはありません」
「……」
「それに、今日の労働時間は終わりました。ご不満の箇所は明日やり直します」
「だめだ、今すぐだ。つべこべ言わずにすぐ来い。いいな」
「……」
「いいな、わかったな」
「お断りします」
「何だとォ」
「Nein! 行きません!」

受話器をたたきつけた。電話はまたすぐ鳴った。

「もう何も聞くことはありません!」
「よし、わかった。クビだ。あと一週間だけやる。一週間のうちに出て行け。わかったな!」
「わかりました。そうしますっ!」

しまった、と思った。この人と争っても仕方ないのだいうことは百も承知で、そしてしかも、その� �とはほかの人はみんなわかっているということも知っていながら、つまらない行きがかりでまたこんなトラブルを…

後悔と混乱と

ロンドンでも日本クラブのマネージャーと言い争った。そのせいであんなに苦労したのではなかったか…。放浪者という無責任な立場ゆえについ起こしてしまうこういうトラブルが、間違いなく自分の苦労を増やすのだということもわかっている。

男のヒステリーみたいなライトナーさんの小言にさえ耳をふさげば、ここはとても居心地がよいと、自分でも思っていた。それなのに…

自分の計画をこうして狂わせるのは自分自身なのだということを改めて思いながら、ここを出るしかなくなった事情を受け止めようとしていた。それも期限は一週間だ。

やっちまったことは仕方な い…。ぼくは気を取り直して、その日のうちにドイツ、スイス、オーストリアのユースホステル協会に手紙を書いた。この夏の仕事を探していること、日本ユースホステル協会の推薦状を持っていること、そして少し急ぐのでできれば四、五日うちに返事がほしいこと、などを英語で書いて投函した。

でも、そんなにすばやく返事をくれるとも思えず、ぼくがハンブルクを発つまでに返事が来る可能性はうんと低い。でも、それならそれでもういい…、ここの給料もあるし、当分は何とかなる…

たくましく困難に打ち勝つ力はないし、小心で、ピンチに巻き込まれることをいつも怖れている。でも、そのくせそのピンチが来てしまうと、ぼくは結構開き直ったりする。なあに、何とかなる…。

昔からぼくは、九回裏、ここで� ��たないと負け、というときになると何とか同点打を打つタイプだった。

そしてそれが、これまでしばしばぼく自身を救ってきた。今、ぼくはまた少し勢いづき、虚勢を張りそうになっている。

だが、やっちまった直後からぼくの中の後悔の気持ちがどんどん膨れ上がってくる。

それ以前に、今度のことではライトナー夫人やホルストの優しさが身にしみている。それを思うと、これから忙しくなるというこの時期にぷいと出て行くのは、少し勝手過ぎるぞ、と自分を責めている。

それはともかく、ライトナーさんはあの日から、ひどくぼくを意識している。廊下に立たされた小学生のように、おどおどとした青い目がそれとなくぼくを気にしているのがわかる。
あれ以来、ぼくには一切小言も言わなくなった。

< p>床に毛が落ちているぞ、とも、テーブルを拭いたら脚も拭けとも、皿洗い機に残ったジャガイモのかすのことも、もう何も言わない。

一方ライトナー夫人は少しも変らない。彼女はそのことには一切触れず、これまでとまったく変わりない。変わりないわけがないのに変わりない、ということが、ぼくにはひどく気になった。

ホルストも、あれから何も言わない。あんなやつとやり合うなんて、なんてバカなやつだと、彼はきっとそう思っているだろう。「辞めるんだってな」、ひと言そう言っただけだ。

二人のレナーテ

まだ本格的なシーズンではないから、宿泊者が数人、というようなヒマな日がときどきある。そんなある日の夕方、ホルストはぼくを町に誘い出した。「もうすぐいなくなっちまうんだろ。オ レの友達も呼んで、一度どこかで食事しよう」、ホルストはそんなふうに言った。送別会をしてくれるつもりなのだと思った。

彼は、ハンブルグ一の歓楽街ザンクト・パウリにあるツィレルタールというビアホールにぼくを連れて行った。

この店のことは知っている。ミュンヘンの有名なビアホール、ホフブロイハウスと同じ、体育館のような巨大な建物で、ステージの上では民俗衣装のオッサンたちが陽気にドイツの歌を演奏し、一杯機嫌の客たちが賑やかに歌ったり踊ったりする、そういう仕掛けである。


ホルストは店に着くとすぐ電話でガールフレンドを呼んだ。レナーテという純朴そうなその女の子は十五分ぐらいで現れ、ビールと、そしてひどい下戸のぼくは、無香料の、酸味の強い、すばらしくおいしいドイツのリンゴジュースApfelsaft でとりあえず乾杯した。

それからまた十五分ほどすると、もう一人現れた。これがなぜかまたレナーテと言った。

四人揃ったところで食事を注文した。ぼくがソーセージとジャガイモにグリーンサラダのついたありきたりのセットを注文しようとすると、あとから来たほうのレナーテが、そんなのやめときなさいよ、と口を挟み、勝手にぼくの分を注文してしまった。

あっけに取られていると、彼女はごめんなさいと謝って、「初めて会ってこういうのはヘンだと思うでしょうけど、今夜はあたしのおごり。ね、いいでしょ?」、と遠慮がちに言い、あなたのことはホルストからいろいろ聞いている、これはお近づきのしるしで、そして残念だけどお別れのしるしだと言った。

先に来たほうのレナーテが、あ� ��しがおごるつもりだったのに、と口を尖らせた。そういえばホルストだって、自分が招待してくれるつもりだったに違いないと思った。「ありがとう」、と、ぼくは三人に礼を言い、そして、今レナーテが注文してくれたのはどんな料理なのかと聞いた。

「肉と野菜をミンチにして、それを…」
「肉は子牛肉ね」
「成牛のこともあるわ」
「え、絶対子牛よ」

二人のレナーテの意見が食い違ったところに、ホルストが口を出した。

「あれよ、つまり、な、あれみたな、その…」

そして、オエ、と、嘔吐のゼスチュアをした。

「また始まった」
「やめなさい、ホルスト」
「あれそっくりなんだ」
「へえ、そうなんだ。で、味は?」
「味か、味は…、違う」

当たり前だ。

「ここのは� �くにおいしいのよ。あたしたちのお気に入り。だから、ね、食べてみて」、

みんなでこの話題を平然とやり過ごすところが恐ろしい。

やがてソレが四人前、ジャガイモやサラダとともに運ばれてきて、にぎやかに食事が始まった。物件はホルストの言ったとおりの姿をしていて、食べ物としてあってはならない種類の外見ではあったが、彼女たちの言うとおり、味はなかなかだった。

食べながら、ぼくはカレーや味噌のことを思い出していた。あれなんかも食物としてあるまじき色や形をしているが、味はなかなかのものではないか。

十五分もすると、四つの皿はなめたように空になり、先に来たほうのレナーテがそれを集めて積み重ね、一番上の皿にナイフ・フォークを集めた。すると、いかにも「以上、やっつけ� �した」という感じになった。

満腹になると、四人の興味はようやくステージの音楽に移り、他の客がしているように肩を組み、ステージと一緒になって歌った。知ってる歌も、そうでない歌もあったが、そんなことはどうでもよかった。

それからホルストは先に来たほうのレナーテをテーブルとテーブルの合間に連れ出して踊り始め、もう一人のレナーテも当然のようにぼくをフロアに誘った。ぼくは踊ったことなんかないが、適当に揺れてればいいのよ、というレナーテの言葉に従うことにした。

レナーテは、ちょうど鳴り始めたWaldeslust という三拍子のドイツ民謡に合わせて適当に揺れながら、ぼくの耳元にささやいた。

「あなたのこと、ホルストから聞いてとても興味持ったの。これからもっとゆっくりお話できると思ったのに、行っちゃうんですってね。どこへ?」
「それはまだ決まらなくて」

ワルツに合わせて、ぼくも適当に揺れながら答えた。

「ところで、きみたちはふたりともレナーテだろ。下の名前は?」
「あっちはハルトマン、あたしはベック」
「ベック…、ホルストと同じなんだ」
「ベックなんてざらにあるわ」
「それにしても、二人は姓が同じで、二人は名が同じ。ややこしいんだ」
「あたしの元の名前はカウフマン。ユダヤ人にはよくある名前」

今出会ったばかりで、ようやくコミュニケーションが� ��まろうという段階を、話題はいきなり飛び越えようとしているような気がした。黒っぽい髪の毛を短く切り、細く尖った形のいい鼻を中心に端正にまとまった彼女の顔立ちを、ぼくはまじまじと見詰めた。

「両親は戦争中、ポーランドのオシュヴィエンチムにいたの」

オシュヴィエンチム…、何だったっけ?
どこかで聞いたと思った。記憶はすぐにたどれた。どきりとした。

「オシュヴィエンチムって、もしかして…」
「そう、ドイツ語で言うとアウシュヴィッツ」

彼女の静かな話し振りとはあまりにもうらはらな話題だった。

「終戦になって、解放されたんだけど、もう遅かったのよね。そこから出てすぐに栄養失調で亡くなったらしいの」
「…」
「あたしはまだ二歳の幼児で、両親がナチに捕� ��るとき、ベックさんっていう知り合いのドイツ人があたしをかくまってくれたの。で、その幸運な女の子はその人の養子になったってわけ」

惨めさも押し付けがましさも一切なかった。淡々とした彼女の話を、ぼくもまた彼女のその冷静さのおかげで、平静を失うことなく聞くことが出来た。

「あ、聞いてくれてありがと。でも気にしなくていいのよ。ドイツではいくらでもある話なんだから」

この前、ホルストから聞いた話も思い出していた。激しい空襲、市民を巻き込んでの地上戦、ホロコースト…、沖縄以外では市民を巻き込んだ実戦のなかった日本とはまた異質な、血なまぐさい惨劇がいたるところで繰り返され、多くの肉親離散の悲劇を生み出していたのだと思った。

ホルストと踊っているレナーテがぼく� ��視線の方向にいて、ホルストの肩越しにくりくりした目でしきりに合図を送ってきた。あっちのレナーテは金髪に青緑の目、いかにもドイツ人らしい容姿だ。それにあっちの話題はもっとノーテンキらしい。

ぼくたちがテーブルに戻ると、ホルストたちも戻り、また四人の会話が始まった。

「ね、特急列車って言うんだって?」、
「そっちはそんな話題だったのか、やっぱり」、
「え、何それ?」、
「ハンブルグに来て間もないころ、ぼくがなま水を飲んでおなかをこわした。言葉がわからないから、特急列車なんだってホルストに言った。ホルストはすぐに理解してくれて、それ以来、トイレットペーパーのことは特急券」、
「ホルストはそのテの話、好きよね。あなたもなの?」、
「嫌いじゃないな」

< p>それからぼくたちはステージの演奏に合わせて歌い、ビールとジュースをお替りして、夜中の十二時ごろに店の前で二人のレナーテと別れた。

レナーテたちは二人ともそこから歩いて帰れるところに住んでいると言ったが、ぼくたちは地下鉄と市電を乗り継いで帰らなければならなかった。彼女たちはバイバイと手を振ってさっさと帰っていったが、送らなくてもよかったのかとホルストに聞いたら、「あいつら、そんなヤワな連中じゃない。男の庇護なんてあいつら自身考えてもいないさ」。納得できた。

もう二十四時を過ぎていたが、ここでは地下鉄も市電も終日営業だというので安心した。たださすがにもう本数は少なく、地下鉄で中央駅まで来たぼくたちは、駅前の市電乗り場で三十分以上も待った。

五月一日、� �うやく穏やかな春の風が流れる深夜の街角だった。

待ちながら、二人のレナーテのことを話題にした。

「ホルスト、レナーテは…」
「どっちの?」
「あ、先に来たほうの」
「うん」
「べつに恋人、じゃないよね」
「恋人に見えるか?」
「見えない」
「じゃ、わかってるじゃないか」

今度はホルストが言った。

「レナーテがな…」
「どっちの?」
「お前と踊ってたほうの」
「踊ってたんじゃない。揺れてただけだ」
「お前と揺れてたほうの」
「うん」
「あいつは、お前に関心がある」
「うん、そんなこと言ってた」
「でも、お前は例の彼女に…」
「え、関心があるって、そういう意味か?」
「そういう意味だ」
「そう…、レナーテ、すごくいいと思うけ� �」
「けど、何だ?」
「例の彼女と壊れちまったといっても、あっちがだめになったから、じゃこっち、というのもね、いくらなんでも…。もう少し時間がほしい」
「時間なんてないじゃないか。もうすぐ行っちゃうんだろ。そういうやつだなお前は。それに実はあのレナーテもそうなんだ。もう一人のほうならそんなお前を強引に引っ張っていくだろうけど、でもあっちはお前には合わないと思うよ」
「彼女、ユダヤ人の戦争孤児なんだってね。驚いた。いきなりそんなこと話し出すんだもの」、
「ただの行きずりの外国人にそんなこと話すと思うか?」

とても暖かな優しい波がぼくを包み、今しがたまで互いに息がかかるぐらいのところにあったレナーテの、そういえばいくらか東洋的な雰囲気のある、繊細な顔� ��ちを思い浮かべた。

メンケベルク通りのほうから、ぼくたちの乗る市電がやってくるのが見えた。

ライトナーさんとやり合ってから、四日目の夜だった。

スイスからの便り

翌朝、ぼくは久しぶりに、ほんとに久しぶりに、鼻歌交じりの上機嫌で玄関のホールに掃除機をかけていた。これでようやくトンネルを抜けられるかな、という気がした。

いつものように「グーテン・モルゲン」とつぶやきながら郵便屋が入ってきて、無造作に紐で束ねた郵便物を受付のカウンターに投げ出していく。もう手紙を待つ気持ちもなくなっていたが、ここ数日は、いくつか出した求職の手紙への返事を待っている。

廊下でミスター・ジョンが悠然とモップを使っている。ニコールのシャンソンもいつものように聞こ� ��てくる。

受付のカウンターの中で夫人の事務を手伝っていたホルストがぼくを手招きした。郵便が二通来ていた。白い事務封筒と、もう一つは絵葉書。

見事なアルプスの写真につられて、ぼくはまずその絵葉書を手に取った。スイス・グリンデルワルトのユースホステルからだ。

こちらは昨日あたりからもうすっかり春らしくなりました。まもなくアルプスの雪解けが始まるでしょう。…

何だ、これは? そこに手紙を出した覚えはない。そして、手紙を受け取りました、とも書いてない。でも…

今はまだ宿泊者もいませんが、これからは一年で一番いい季節になります。一日も早くいらっしゃい。お待ちしています。ではよい旅を。

いらっしゃい、と書いてある。求職の手紙にOKの返事をくれた、とも思える。

そうだ…、もう一通のこの事務封筒。返してみるとスイスユースホステル協会からだ。これでつじつまが合うんだ…。そこには確かに求職の手紙を出した。

あなたの求職のお手紙に回答します。ベルン州グリンデルワルトのユースホステルでヘルパーを求めています。お手紙はそちらに回しますので、グリンデルワルトからの直接の連絡をお待ちください。

ホルストに見せた。「よかったな」と、ぼくの肩をぽんと一つたたき、「ライトナー夫人にも話せよ。彼女心配してる」、ちょうど入ってきたライトナー夫人にも、その手紙と絵葉書を見せた。「よかったね。ここを出てどうするのかしらって、心配してたのよ」、そう言って彼女はいつものようにぼくの両肩に手� ��かけ、それから両腕でぼくを包み込んだ。いつもの彼女流の、熱くて、優しいスキンシップだった。

「でも、こんなことになって、ごめんなさい」
「いいのよ、もう」
「これから忙しくなるっていうときに、しかもこんなふうに出て行くなんて」
「仕方ないわよ。人生いろいろあるわ」
「…」
「またよく働く日本人でも見つけるわ」
「日本人…ですか?」
「でも今度はドイツ語の出来ない人にしようかな」
「え、どうして?」
「電話でケンカできない人」

ふふ、と彼女はいつものいたずらっぽい表情に戻って、上目遣いにぼくを見た。

「で、いつ行っちゃうの?」
「あさってです」
「そう、またいらっしゃいね、ここはいつでも歓迎よ」

電話が鳴った。彼女は事務的な表情に戻 って、はい何日から、はい、何名さま…と、宿泊予約を受けた。シーズンの賑わいまではもうそんなに遠くない。ぼくはさっき放り出してきた掃除機のところに戻った。スイッチを切り忘れた業務用の大きな掃除機は、勝手にくるくると同じところを回りながらぼくを待っていた。

その朝

出発の朝が来た。あれからずっと、それとなくぼくを意識し、そしてぼくを避け続けているライトナーさんには、こちらから手を差し出して、ともかくも握手して別れなければなんといっても夫人に悪い、と思った。

荷物をまとめて、といってもリュック一つだけれども、玄関ホールに出ると、みんなが待っていてくれた。ライトナーさんもいた。ひと通り挨拶を済ませたあと、ぼくはライトナーさんの前に出た。

「ライトナ� �さん」
「ああ」

ライトナーさんは、照れくさそうに、あいまいに表情を緩めた。

「いろいろお世話になりました」
「いや、いいんだ」
「スイスへ行きます」
「うん、あ、そうだってな」
「お元気で」
「あ、そっちも元気でな」
「はい…」

短い、お決まりの言葉をやり取りしているうちにようやくそういう雰囲気になって、どちらからともなく右手を出し合った。

「じゃ、これで…」
「うん、よい旅を!」

彼の青緑色の目にようやく安堵の色が浮かんだ。あんなつまらないことでバカなことをしたものだ、という思いがまたぼくの胸をよぎり、そして、きっとこの人も今同じことを考えているのだ、と思った。

リュックを背負い直して、玄関の大きなドアを押した。車寄せをぐる� �と回って道路に出ると、春の陽気な空が広がっていた。日差しは明るく暖かだが、まだ風は冷たく、そのひんやりと乾いた空気が心地よい。

すぐ前の大きな通り、競馬場通り Rennbahnstr. を渡りながら、ぼくは一度大きくリュックをゆすって深呼吸した。それからぼくは、少しわざとらしく、全身を弾ませるようにリズミカルに歩調を取り、そして小声で歌った。

  楽しめよ人生を
  火はまだ燃えている
  バラを摘めよ
  花がしぼまないうちに
  ……
   それは美しい人生の絆
   さあ、気のおけない仲間たちよ
   手をつなごう
   手を取って放浪しよう
   このすばらしい祖国を
  楽しめよ人生を
  火はまだ燃えている
  ……
   (ドイツ民謡「Freut euch des Lebens」より、筆者訳)

中央駅にリュックを預けて、繁華街のメンケベルク通りを歩いた。春の日差しの中で、着飾った人々が渦巻いていて、その渦の中に埋もれるように、ソーセージの屋台が香ばしい匂いをたてている。

またこの町に来ることはあるのだろうか。あるような気もするし、あり得ないようにも思える。「ナニ、放浪なんて、一寸先は闇よ…」、一人うそぶきながら、結構悪くない気分でこの町に別れを告げていた。

そして、
エヴァ・クプリノヴィッツとのことは、そんなふうに終わった。
終わった、と、そのときぼくは思った。
……

2008.02.10



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